昨年年度末に伯備線の運用から外れたEF64 67
1973年に稲沢第二機関区へ新製配置され、廃車となる今日まで稲沢に車籍をおいたまま活躍。
1995年に広島車両所へ入場し、初の更新工事施工車として出場した67号機は、広島車両所更新塗装として活躍。
ライトグレーにブルーの色を纏い、貫通扉とナンバープレートは黄土色、、エアーフィルターは全面ブルーとなった。
2002年に大宮工場へ入場した際に、エアーフィルターがライトブルーとライトパープルのツートンカラーになり
エアーフィルターも塗り替えられた。
中央西線・篠ノ井線で活躍してきた同機、東京への就職が重なったこともあり中々撮るチャンスもなく
初撮影が2009年のこと。もう一般番台若番がほとんど廃車となり、時代はほぼ末期状態であった。
貨物列車=機関車が二つというイメージが昔からある自分にとってロクヨンの存在は格別なものであった。

前日の81レに入り、これはと確信して西線入り。67号機、初の撮影となった。

夜の南松本。仕事が終わってから高速を飛ばして何度も足を運びました。
操車さんや運転士さんから「また来たの?」と声をかけられることもしばしば。。。

この日の5878レにはチキ車が連結された。
前照灯が消されるも当時はさほど気にならなかった。
頻繁に撮影に訪れることも多くなり、現地でよくお会いする方よりいろいろ情報を頂ける機会が増え
「時刻変更で普段は通過の駅で止まるよ」とお声を頂き、逃すことなく撮影。

この頃から大勢の方々と交流する機会が増え人脈が厚くなり、巨匠方々の作品を見ると自分はまだまだだと。

作品、技術的にもままならぬ、積極的な活動は大切なんだと実感させられる日々でした。

技術屋は人の動きを見て学べといった台詞が昔からの言い伝えであることは知っていた。
自分でアングルを模索しては撮るの繰り返し。

中央西線へ行くのに片道100kmほどかかるにもかかわらず
年間60回行って、いくらのお金を撒いたのかはわかりません。
無論、無事故な訳も無く自損事故もあったわけですが、思い出には変えることは出来ません。
夕日に染まるロクヨンを狙いに一発の為に中津川まで出向いたことも。

上り列車場面で長野方連結なので、下り列車で撮れると喜んでいたらひっくり返されて名古屋方へ連結されたことも。
こうした現象を「稲沢マジック」と呼び、当時の流行言葉として盛り上がっていたことが懐かしいです。
篠ノ井線へ入線時には、ほぼ毎回狙い撃ちして撮影に励んでいたのが懐かしいです。

稲荷山は明るい場所に止まるかどうかいつもヒヤヒヤ。

篠ノ井駅は対向特急列車と交換の為わずかな停車。

到着からずっとシャッターを開けて、ビームを狙ったこともよき思い出。

出勤前に83レの撮影。 天気が良い日は積載が悪いイメージが定着していた。
長野方へ向くことも少なく、撮影はそうも簡単にはいかないのが重連。
こうした重連だからこそ、一回の撮影価値が更に刺激的になるんじゃないかと思う。

最北端、北長野での入換。
今では左にいる209系も全て転用もしくは廃車となった。
そして時は2009年6月2日…
中央西線81レ~5878レに高崎機関区から転属したEF64 1000が運用入り。
いよいよゼロが消える準備が整ったと実感…
翌日に早速故障して運用から外れる事態となり、しばらくは一般機へ持ち戻り。
しかし、67号機としての中央西線運用はそう長くなかった…
2010年の新年篠ノ井参り、67号機が側線で待機。

事実上、67号機が篠ノ井線を走ったのはこの直後が最後であった。
そうして向かえた2010年3月12日、67号機が重連運用として最後を迎えた。

重連運用から外れる=自分の中のロクヨンではない
もう絶望的で、残された道は伯備線での単独運用。 しばらくカメラから手を離した。
重連からうなり出るブロアサウンド、Bo-Bo-Bo台車の音、何度聞いても飽きなかった。
しばらくは撮り貯めた画像・動画でその鬱憤を晴らすしかなかった。
その後、ネットで衝撃的な文字を見ることに
2010年3月21日 8865~配1975~8867 EF64 67ムド
西線運用を終え僅か1週間ほどで伯備送り。
東日本大震災での機関車不足を補うために一般が復活し西線へ緊急出動する日々でしたが
カラシを纏った67号機は現れません。
月日は経ち、2011年7月…
若狭鉄道向け12系甲種の撮影に行きたいと先輩にお願いして、一路鳥取県へ。
始めての地、駅名も配線も分からず見て学習。 西線並みの曲線であるが単機で走っていることに驚きを隠せなかった。
そして翌日の3089レに67号機が入っていることで撮影させていただくことに。

重連ではないけれど、67号機自体に変わりはない。
これで見納めるわけにはいかないと、2012年2月18~19日に伯備線へ弾丸ツアー。
しかしこの時には重連総括ホースは取り外し済みの状態。
それでも撮りたいロクヨン一般、いや67号機
現地は中央西線でも経験したことの無い大雪。 来る列車は全て雪をつけてやってくる。

ここは鳥取県。ロクヨン一般の配置はなく、非常に違和感がある。

雪を纏うこの姿、ロクヨンにピッタリなシーン

遠征を終え、月日はあっという間に秋へ。
知り合いの方から「11/22をもって伯備線3084レからEF64一般撤退。以後、1000番台限定運用」と
衝撃の一報が入った。伯備線3084レは日中に南下する唯一の日中貨物である。
片付かない仕事を切り上げ、有給休暇簿(記事欄)へ「ロクヨン求め西へ」と書き込み
布団と着替えと機材を積み込んで、鳥取県へ直行。
2012年3月ダイヤ改正から、3089レ~3084レの機関車回しになったとこから撮影の幅が増えた。

宇部産廃コンテナが乗る3089レ、3084レは伯備線の一番列車だと思っている。

たらこキハに負けんばかりの黄色を発しているように見えた。

根雨~黒坂の有名撮影地へ足を運ぶも、重鎮の方と二人きり。
雑誌でも有名なこの方、この日の3084レを持って引退されるそうで別の別れを突きつけられました。

結局、美袋まで追いかけ全て晴れカットで終焉を締めくくることが出来ました。
翌日からも居残り、67号機を中心に積極的な活動。

ローアングルで前面切り取り

伯耆大山での入換

前照灯を両エンドつけて入換!

寝る間を惜しんでパン上げスパークだって

西線時代からともにしてきた381系と2カット
こうして伯備線4日間の2500kmに及ぶ長旅を終えて余韻に浸ることで出来た。
ここまで来たら、最後はこの目で見送りたいと決心していた。
となるとダイヤ改正か年度末かでワンポイント出撃が必須となる。
一般を追ってきた仲間達と連絡を取り合い、2013年3月30日に日帰りアタックをすることに。
泣いても笑ってもこれが貨物列車として牽引する67号機。
自分を先頭に仲間が続々と鳥取県へ集結。

単3092レの入換が出区。
この後、始発列車の車両故障により3082レが45分ほど遅れるアクシデント。
新見までには定時に回復して、大勢の方が待ち構えるポイントで午前の部を仕留めた。

午後の3083レを方谷でどうしても狙いたく、場所をとってひたすら待機。
鳥取県側では少なくなるも岡山県側では撮影される方が非常に多い。
それだけ皆に愛されてきたロクヨンなんだと実感。

引き上げるわけもなく、伯耆大山まで67号機とともに北上。
ここで折り返しまで最後のお見送り。

また名機が一台消滅。
検査表にはこう記されていた。
第 EF64 - 67号
全般検査 平成20年 2月 4日
台車検査A 平成21年 6月17日
台車検査B 平成23年 5月 7日
台車検査A 平成24年10月18日
お手製の札を区名札脇に挿して、全ての撮影を終えた。

長旅を終え、貨物一般とは完全にお別れ。
いままで撮り貯めた写真の整理などで日々過ごしていた。
2013年 3月31日 A83行路 貨物列車牽引、最終運用
そして…
2013年 4月 2日 8866~配1974~8866 EF64 67ムド
最後は無動力で稲沢へ帰区。 もうお目にかかることは泣くこのまま廃車だと誰もが思った。
月日は流れ10月頭に、愛知機関区公開へご招待いただく機会を頂き恵まれました。
67号機と最後のご対面を与えてくださった関係各位にはこの場をお借りして感謝申し上げます。

な、なんとフィルターまで復刻! ホース類も復活しているし電源も入っておりコンプレッサーは回る状態。
感無量すぎて胸が熱くなりました。
2014年3月中旬に、愛知機関区の片隅にEF64 1040とともに留置され解体間近となり
もうその姿も形をなくそうとしています。
出会ってから約5年、最終全検後と短命期間に終わってしまいましたが、ここまで一つの機関車へ対して
思いをこめれて事は、「誰より積極的に活動して記憶に残しなさい」と言っていた祖母のおかげかもしれません。
雑誌掲載という舞台にも恵まれ、大勢の方に共感を頂けていれば幸いです。
現場で最前線にメンテナンスに携われた方々があっての機関車、よき青春時代の1ページとなりました。
青春と言う場を「ロクヨン」というものに打ち込めたことは何よりの思い出です。

1973年3月5日~2014年3月31日 延べ15002日(41年と27日)
沢山の思い出をありがとう。
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- 2014/03/23(日) 16:45:01|
- EF64 0(貨物)
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